大阪高等裁判所 昭和28年(う)2061号 判決
弁護人は原判決は被告人の現場到着後出火発見に至るまでの所要時間を約十分と認定しているけれども、右は誤認であると主張する。
思うに、歴史的証明の一種である裁判上の事実の認定については、真実の高度な蓋然性をもつて満足しなければならない。
本件事案で問題になつている時間的経過という点についても、自然科学者が、クロノメーターで測定するような正確な結果を期待することのできないことは、いうまでもない。本件事案で比較的正確な時刻といえば省線電車の山崎駅到着の時刻ぐらいであつて、その他は全べて関係人の過去の知覚と記憶とその表現に基づくものである。従つて、その基礎には相当不安定な要素を含んでいる。いいかえると関係人の供述する時刻又は時間については、相当の幅があるものである。故に被告人に最も有利な最短時間又は最長時間のみを根拠として、原判決の認定を非難することは相当でない。以下順次弁護人の主張に対する当裁判所の見解を明らかにする。
第一、被告人の現場到着時刻について、
(1) 弁護人は、省線山崎駅から本件火災現場までの所要時間は昭和二十七年七月八日付原審検証調書によれば約十五分と記載あり、昭和二十八年二月十八日付原審検証調書(第三回)によれば十二分と記載せられている。しかし省線山崎駅から本件火災現場までの道順はその(一)は山崎駅より西国街道に出て日紡工場の西を南に曲つて三叉路に到り更に曲つて現場に到るコース、その(二)は山崎駅より西国街道に沿い落合、長谷川両家の空地より現場に到るコースとがある。右検証調書ではいずれの道順によつたか不明である。昭和二十七年七月八日付検証に際しては弁護人が立会つているのでその(一)に従つたことが分るけれども、昭和二十八年二月十八日付の検証に際しては弁護人が立会つていないから全く不明である。しかも被告人の供述によれば本件犯行当日帰宅の道順はその(一)によつている。従つて右所要時間は十五分と認めなければならないのに十二分と認めたのは誤認であると主張する。
しかし、昭和二十八年二月十八日の原審の検証は本件所要時間検証の目的で被告人自身出頭の上本件犯行当日の具体的道順について行われたことは同月十九日付原審検証調書によつて明らかである。昭和二十七年七月八日の原審の検証は現場の検証を目的として被告人の出頭しないままに実施せられているのである。従つてその所要時間の検証については右昭和二十八年二月十八日の検証の結果を採用した原審の措置が正しいと考えられる。また右検証がその(一)の道順によつて行われたことは当審検証の結果によつて明らかである。
(2) 弁護人は、昭和二十八年二月十八日の検証は普通歩行速度によつてなされている。被告人の本件犯行当日の再現ではない。原判決が被告人は普通の速度で歩いていたものと断じたのは誤認であると主張する。
しかし、本件のような犯行当日の実況をそのまま再現できないことは当然の事理であるが、昭和二十八年二月十八日の検証には被告人自身出頭しており且つ右検証は省線山崎駅より本件火災現場までの被告人の歩行による所要時間を検することが目的であつたのであるから原審が被告人と共に普通速度によつて右所要時間を検したのは至当であり、且つ本件犯行当日における被告人の歩行速度がぼつぼつ歩いていたといつても普通以上に緩慢に歩いていたと考えられないことは、相当足早に歩いていた竹内証人が被告人を追越すのに約五十米の距離を要している事からも推認できる。
弁護人は、原判決は竹内証人の供述によつて被告人の当日の歩行速度を普通と断じたけれども右は被告人と証人が同時に駅の改札を出たことを前提とする独断であると主張する。
しかし、証人竹内弘美は原審の証人尋問調書によれば証人と被告人は同じ電車で共に山崎駅で下車しておりその際被告人が先に改札を出たというのである。従つて右証人が被告人を追抜くのに約五十米歩かなければならなかつたのである。所論のように同時に右両名が改札口を出たとすれば急いでいる証人がそうでない被告人を五十米先で追抜くという問題は起らないのである。論旨は独断である。
(3) 弁護人は、本件犯行当日被告人の現場到着時刻は午後九時五十六分以前ではありえないと主張する。
しかし、当審の検証の結果によつても被告人の現場到着時刻はむしろ午後九時五十六分以前であつたと認めるのが相当であつて、原判決が被告人は九時五十分を幾分過ぎた頃には少くとも右倉庫に到着していたものと認定したことは相当である。
第二、出火時刻と出火発見時刻について、
(1) 弁護人は、原審証人駒井規矩夫の証言によれば同証人の出火発見時刻は同証人の進んだ時計で午後九時三十分頃(五十分の誤か)と推認される。同証人が最初白煙を見て火が見えるまでには約五分を要した。従つて同証人が白煙を見たのは午後九時五十三、四分頃火を見たのは午後九時五十八、九分頃であると主張する。
しかし、証人駒井規矩夫の証言によると午後十時までに行かないと嫌な顔をされるのでいつも十時きつちりに風呂屋へ着くようにしている。自宅から風呂屋迄は三、四分かかる。当日もいつものように十時にきつちり着くつもりで家を出た後途中で白煙を見風呂屋に着いてから落合方の納屋の廂と屋根の間から赤いものがペラペラするのを見た事実が認められるので、本件出火及その発見の時刻が原判決説示の通り(出火の時刻は午後九時五十五、六分、その発見時刻は午後十時一、二分過)と認める方がむしろ相当である。
(2) 弁護人は、原審証人松田音吉の証言によれば同証人が妻から火事の事実を聞き外を見たらものすごい煙と焔をあげていたその時刻は十時二、三分頃であることが認められると主張する。しかし、証人松田音吉は昭和二十七年十二月十六日付証人尋問調書で証人方の時計はラジオに合してあり十時やなと思つて二階に上りねようとして着物をぬぎかけたところ下から火事やという声がした。ずいぶん燃えていた。二階へ上つてから五分も経過していないと思うと供述しているのである。従つて同証人の出火発見時刻も、原判決も説明しているように駒井証人の証言と一致しているのであつて、弁護人主張のような矛盾はない。
(3) 弁護人は、証人河上光子の証言によれば同証人が他人に聞いて火事を知つたのは十時三、四分頃である。その時納屋が一面に下から燃えていたことが認められると主張する。
しかし、証人河上光子の昭和二十七年十一月四日付原審証人尋問調書によれば証人はパチパチという音がしたので主人を起し窓をあけて見たら落合の納屋の下から燃えていた。十時五分一寸前であつたと供述している。従つて同証人の証言も前記認定に少しも牴触しない。
(4) 弁護人は、証人小林寅次郎の証言によると同証人が日紡を出たのは十時五分位で火事を知つたのは十時十分頃でその頃には倉庫の二階が真赤であつたことが認められるが、証人川田清三の証言によると九時五十分勤務交代をして小林を帰宅させた、火を見たのは十時五分前であつたと供述している。川田は守衛長であり当時電気時計によつて時間を確認しているから原判決が川田の証言を措信しなかつたのは誤であつて、小林の証言中時間の点は十分の時差を訂正し同証人が日紡を出たのは九時五十五分火を見たのは十時前とならざるを得ないと主張する。
しかし、証人川田清三の証言の措信し難いことは原判決も第二の四で説明しておる通りであり、同証言は他の信用すべき証拠と矛盾するので、原判決がこれを排斥したことは相当である。
(5) 弁護人は、証人竹内弘美の証言によれば同証人の帰宅所要時間は十七、八分であるから同証人が帰宅したのは九時五十八、九分でその後五分もたたない中に半鐘の音を聞いている。右証言は正確であるから被告人の帰宅所要時間を十五分とすればその差は二、三分であり、多く見ても五分である。すると被告人は本件犯行を五分で実行したことになる。これは実験的合理性がない。原判決は竹内証人の現場通過時刻を九時五十分過頃と認定しているが、これによると同証人の帰宅時刻は九時五十六分と見なければならない。同証人が九時五十分に現場を通過したとすればノロノロ歩いていた被告人の帰宅は九時五十分過頃とならない。原審検証の結果十二分説があるのに被告人の帰宅時間を正確に算定しないのはごまかしであると主張する。
しかし当審検証の結果によると本件火災現場まで西国街道だけによるとすれば(弁護人主張その(二))普通速度で十分であり、現場から右証人宅まで少し急いで七分を要することが認められる。当日午後九時四十一分に省線山崎駅に着いた証人が急いで帰宅したのであるから現場通過時刻は九時五十分頃となる。そしてその帰宅時刻は九時五十七分頃となる。そして証人は五分とたたないうちに半鐘の音を聞いているのである。被告人は原審検証の結果で明らかなように弁護人主張その(一)のコースで十二分を要して帰宅しているのであるから現場到着は午後九時五十三分頃となる。しかし右検証は当日の過去の事実そのものの再現ではないが、裁判上の事実認定の資料としては十分であつて、決してごまかしではない。原判決が被告人の現場到着時刻を九時五十分を幾分過ぎた頃と認定したのは極めて至当の措置である。右証人の現場通過時刻後半鐘の音を聞くまでに十分以上の時間の存することは明らかであり、この時間内に本件犯行がその経過する程度に進行したとしても少しも実験的合理性を欠くとはいえないことは、原判決も証拠説明第二の八で説明しているように、本件倉庫は木造トタン葺、入口の側は柱だけで壁はなく、その他の側は小端板で囲まれ、隙間だらけで入口附近を除き丸太を並べて二階とし、二階には柴と藁が積んであり、その藁にマツチで点火したというのであるから燃焼速度は極めて早いものと判断せられるからである。
(6)(7)(8) 弁護人は、証人井上富太郎の証言によると本件消防ポンプの出動を知つたのは九時五十四分であり、証人西田正直の証言によると出火時刻は九時四十五分位と思うと述べ、証人加川よし代は九時四十分頃に火事を知つたことが明らかであると主張するけれども、右各証言は原判決の措信せざるところであり、その理由は原判決の説示するところであるか、記録を精査してみると原判決の措置は正当であると考えられる。
(9) 弁護人は、岡本巡査の昭和二十七年三月二十七日付出火報告書によれば出火時刻は九時五十分頃と記載されており当日付のものであるから信用できると主張する。
しかし、右証拠は原判決が証拠に採用していないだけではなく原審公判に証拠として提出された形跡もないので説明の限りではない。
第三、弁護人は、原審の各証拠を綜合すると出火時刻は九時五十分頃であると主張するけれども、その理由のないことは右各証拠について説明した通りである。
(1) 弁護人は、原判決は証人松田音吉の証言を基礎として大体倉庫が火を噴き炎上していたのを発見した最初の時間は十時一、二分と認められると認定しているが、同証人は妻から知らせをうけその妻は駒井証人から知らされている。最初の発見者は駒井であるのに原審が殊更これを退けたのは具体的妥当性がないと主張する。
しかし、原判決は所論のように駒井の証言を排斥しているのではない。証人松田音吉の証言を綜合して本件出火時刻を認定しているものであることは論旨第二(1)及び(2)について説明した通りである。
(2) 弁護人は、原判決認定の出火時刻については具体性がない。すなわち放火の準備時間数分放火から発見までの時間数分が考慮されていない。実況見分調書によるも当日は湿気あり無風であつたこと等が認められるのにこれを無視している。要するに被告人に責仕を負わせるために出火時間を認定しているが破たんを免れない。被告人の責に帰すべき理由はない。原判決には重大な事実の誤認があると主張する。
しかし、記録によれば本件犯行当日の大阪中央気象台の回答(電話要旨)及び所論実況見分調書が適法に取調べられたことが明らかであるから原審が本件犯行当日の気象状況を無視したとはいえない。前に説明したように、本件倉庫の燃え易い構造と室内に保存せられている乾燥した藁が極めて燃え易いものであることなどから考えると原判決には事実誤認の疑は少しもない。論旨は独自の見解にすぎない。
(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 松本圭三 判事 網田覚一)